30歳からの音楽留学【前半】

私個人の話ですが、30歳になってからの音楽留学について書いてみたいと思います。

…30歳で音楽留学

と聞くと、え?遅くない?というのが普通の反応だと思います。

音楽留学というと、高校〜大学卒業あたり、遅くとも大学院を卒業した20代前半頃には、、というのが一般的かなと思います。早い子は小学生の時には日本を出て海外に勉強に行く子もいます。

なぜ音楽留学するなら早めに、かというと、やはり若いうちの方が、あらゆる面、例えば、テクニック、音楽性、意識の改革などの面に置いて、伸び代がながーーいというのがあるかと思います。

このことについては今後の記事で書きます。

30歳から音楽留学、何を今更。。この考えが頭をよぎり続けましたが、そこからは目を背け続けました笑  

逆に、今しかない!という思いの方が強かったかもしれません。

そして無我夢中でこの歳での留学、ということにまずは漕ぎ着けることとなったのです。実際に留学しようと決意して動き出したのが28歳の時でしたが、仕事も簡単に辞められるわけではないし、山盛りの準備などでかなり時間がかかりました。

実際に留学して得られたものは、、、

今後の生き方を揺るがすほど大きかった!!

です。

①テクニックの改善
②豊富な演奏経験
③外国語の習得
④凝り固まった価値観の崩壊
⑤自己肯定感の向上
⑥基礎の再習得
⑦世界のピアノ上級者のレベルを肌で感じる
⑧作曲家の生きた国を体感できる

①テクニックの改善

そもそも留学したいとずっと思っていた大きな理由の一つが、ピアノを弾くテクニックの改善でした。

腱鞘炎を発症してしまうピアノの弾き方を改善すべく、自分で本を読んだり、動画で検証したり、改善の手助けをしてくれる先生を探してレッスンを受けさせてもらったりしていたのですが、なかなか糸口を見出せず、、海外までその手を伸ばしたときに出会ったのがアキレス・デル・ヴィーニュ先生。その先生に腱鞘炎の原因が手ではなく、頭にあるということを指摘され、その先生の勧めでイタリアで勉強することになりました。

レギュラーのレッスンをしてくださっていたのは、弟子のカルロ・パレーゼ先生。脱力して音を1音出すことから始まり、後に打鍵の根本を教えてくださったステファノ・フィウッツィ先生のおかげで、今では手の痛みが生じない弾き方ができるようになりました。また、私がレッスンする立場になった時に、手に負担がかからない弾き方、痛みが生じてしまったときの原因の解明ができるようになった事が本当に大きな財産となっています。

ピアノを弾くことが”苦”ではなく、喜びに変わったほどテクニックの改善は私にとっては重要で、留学して、自分に合った素晴らしい先生に出会ったこと、改善する時間を得られたこと、また良い音、響を聞く耳が持てるようになったことが人生を揺るがす大きな収穫となったことは間違いないです。

②豊富な演奏経験

留学ということでまた学生、という立場に戻った訳ですが、まず思ったことは

学生という立場って、なんて恵まれているんだ!∑(゚Д゚)

ということです。

学校に入れば、自動的に演奏機会がたくさんやってきます。学校の試験や演奏会はもちろんのこと、コンクールなどの情報も友達や先生からたくさんもらえるし、室内楽や伴奏、コレペティをやる機会も自ら探して行かなくても居るだけでいただけるというのは、本当にありがたいことでした。

また、コンサートで弾くにあたって、宣伝も集客も場所をおさえるのも全てオーガナイズしていただけるなんて、、ありがとう!!の極みです笑

③外国語の習得

やはり海外に住むということは、外国語を習得できる絶好の機会!でもあります。もちろん、日本にいても外国語の勉強は出来ますが、交通機関の利用、買い物、カフェ、病院、銀行などなど生活の全てを外国語でやっていくというのは、海外にいないと実現しないことで、必死さと質と量に置いて身に付く速度が全く違います。

もちろん、学校に入ったら授業も教授や友達とのコミュニケーションも全て現地の言葉ですし、学校に入るにもインタビューがあったり、事前に語学のレベル証明をしなければならない学校もあるので、それこそ必死で準備もすると思います。

究極のインプットアウトプットの繰り返しが出来るのは海外ならではですね。

あとは、トラブルがあったときに現地の言葉を話せないと立場が弱く負けてしまうので、自分を守るためにも必死でしゃべってました汗

④凝り固まった価値観の崩壊

東京の大学にいたときは、私の師事していた先生の性格の影響と、もともとの自分の根暗な部分がハーモニーを醸し出してしまい、

ピアノが上手くない=ダメ人間ヽ(;▽;)ノ

私には価値がない私には価値がないワタシニハカチガナイワタシニハカチガナイ……

この方程式のもと、苦しみながらピアノを弾いていました。
この状況で迎える本番の恐ろしさといったら。。。((((;゚Д゚)))))))

海外に行って1番変化した思考というのは、

ダメな自分も失敗した自分も受け止める

ということ。

留学に際して、生活面でも音楽面でもあまりにも失敗の連続で、ダメな自分に対する耐性ができたのと、失敗→復活→失敗→復活の繰り返しでメンタルが強くなったということがあります。環境でいうと、周りのイタリア人や外国人の友達を見ていて、逆境や失敗があってもいちいち嘆かない、、一時は落ち込んでますが、それを引きずって自信喪失にまで落ち込まないで割と翌日にはあっけらかんとしていることが私には衝撃でした。

それに、改めて、世界中にはこんなにもたくさんのピアノの上手な人がいて、才能溢れる彼らと比較して落ちこむだけ無駄だと腹の底から腑に落ちたというか。。そこから、自分が出来ることに取り組むこと、一生、自己成長は続けようと決めてから、ピアノに向かうことが楽しくなり出しました。

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⑤自己肯定感の向上

自己肯定感が上がったというのは、前にお話しした、凝り固まった価値観の崩壊と繋がっていますが、そう、自己肯定感がえぐれるほどなかったのですが、その穴ぼこが少しずつ埋まっていった感じです。

私にとっては不思議だったことですが、、

日本にいた時は、かなり周りに守られて、敷いてくれたレールの上を走っていたため大きな挫折はなく生きていました。だけど自分のことが嫌いでたまらなかった。その上、大きな失敗がなかったため変なプライドだけは高くてどうしようもなかったです。

留学してからは、暗闇の中を手探りで道を進み、合ってるかも間違ってるかも分からない道を気合いだけで歩いていくうちに行き止まりになったり、落とし穴に落ちたり、、ほぼ失敗しかしてない状況だったにも関わらず、そんな行動してる自分が好きになってきたんですよね。。w 上手く行かなくても、人から決められたレールを生きていくより、自分の意思で取捨選択、決定をして生きていく自分の方が私は幸せを感じるようです。

いろんな価値観に触れて、いろんな文化を知って、たくさんの国の友達や先生と出会って、失敗して上手くいくこともあって、自分は自分でいいのかもって思えるようになりました。

今後の人生が苦しいままか、楽しく進んでいけるかの分岐点ともなりましたね。。

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⑧まで全部書こう思いましたが、時間がかかりそうなのでここで1回止めて続きは次の記事で書こうと思います。もしよろしければ次もお読みになって頂けたら嬉しいですm(__)m✨

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