シニアのピアノ、心の健康

私の生徒さんの中で1番ご高齢の方が74歳のシニアの生徒さんなのですが、その方を見ていて改めて生き方や人生と音楽について考えることがあるのでそれを書いてみたいと思います。

人生はあっという間で、必死に成長して、もがいているうちに時間はどんどん加速度的に過ぎていきます。。いくような感覚がします。

ふと、人間の生きてる理由ってなんだろうと考えることがあります。

人生は修行の旅とか、魂を磨く旅とかいう言葉はありますが、でも、苦しむためというよりは、幸せのために生きるんだという風に私は思います。

だけど、苦しいことはやってくるというか常に傍に存在しています。

だからこそ、幸せを感じる何か、手助けをしてくれる存在、というのが人には必要なのではないかなと思います。

それが、友達の存在であったり、スポーツ、ダンス、園芸、アート、料理などなど、そして音楽も。

それはもう人それぞれですね。

これらは経済の面で言うと、お金を産むわけではないですが、だけど、精神面の充実という生きていく上でとっても大事な面を支えてくれます。

それは現役時代ではもちろんのこと、お仕事を引退したあとにも、お仕事は続けながらシニア世代に入った方々にもそういった存在がとても必要なんじゃないかと思っていて、人間、生きている目標や意義といったものが感じられなくなると気持ちがしずみがちになり、ひどくなると心が病気になってしまうことも多々あるんだと思います。

音楽でもなんでも、それをやること、そのもの自体を楽しむということはもちろんありますが、人間の本来の喜びとして、新しいものを知る喜び、学びを深める喜び、上達していく喜び、があると思います。

それらを日々実感できると生きていく上でそんなに心が病むことはないのではないかなと思います。

’クラシックピアノ’というカテゴリーで言うと、クラシック音楽は底知れぬほど奥と幅が広く、最初のひとかじりだけでも膨大にやることがあります。それを指導者と一緒になってそのひとかじりの範囲を広げていくこと、また少しずつでも、努力を積み重ねていけば、確実に上達する実感を得られることが出来ます。

また、音楽をやっていく上で大事な根幹は、人生や他の分野での学びとつながっていることなどなど飽きることがありません。

冒頭お話したシニアの生徒さんとの会話で、印象に残る会話のフレーズで、

“ピアノを弾くということは、自分の身体のいろんな部分や感覚をコントロールすることなんですね”

といった内容のことがあります。

もちろんピアノと直接触れあうのは指であり、指を動かしてピアノを弾くわけですが、音色のコントロールやスムーズに指を動かすためには、背中や腕の意識、手首の使い方、呼吸、耳で音をよく聴いて弾かなくてはいけません。また、拍子を取りながらリズムを感じて、フレーズを歌わせて、、またイマジネーションを豊かにするために、作曲家のことを知ったり、色々な音楽を聴くことも大事ですね。

それらをいっぺんにやるのではなく、少しずつ少しずつ繰り返し取り組んでいくことでだんだん意識と身体に馴染んできます。

なかなかこういったことを普段の生活で総動員して行うような行動はなく、ピアノと向き合うからこそ得られる、感覚、意識、身体の使い方なのではないかと思います。

私の知り合いの先生の生徒さんの中には80歳を超えてショパンを弾いていらっしゃる女性のお話を聞いてなんて素敵なんだろう。。と感嘆しました。

私のシニアの生徒さんも、毎回楽しそうにレッスンを受けてくださっており、新しい発見や、また出来ないことへのもどかしさなど講師である私とあーだこーだと話し合いをしながら、成長度合いを喜び、日々ピアノと向き合っていらっしゃいます。

私もお話の中から多くの学びがあり、よりレッスンを良いものにしようと意欲が向上します。

ピアノが心の拠り所となる幅広い年代の方と出会えるといいなぁと日々思っています。

ピアノ・ヴァイオリン発表会

6月後半のことなんですが、目黒パーシモン小ホールで「ピアノ・ヴァイオリン発表会」を開催しました。その時のみんなの演奏写真や集合写真、希望した生徒さんたちにはCDが出来上がってきたのでお渡ししているところです。

つい1ヶ月半前のことですが、遠い昔のことのように感じるとみんな言っています笑

発表会という場がかなり日常生活とは離れた空間になっているので、そこから切り離された時間との乖離を強く感じるのかもしれません。

今年は親子共演がたくさんありました👪✨

♪ピアノ(子)✖️ピアノ(父または母)
♪ヴァイオリン(子)✖️ピアノ(父または母)
♪ヴァイオリン(子)✖️鍵盤ハーモニカ(父)

例年は、子供どうしの連弾や講師との連弾が多いですが、コロナ禍にあり、お友達どうしの連弾は避けた状況というのもあり、特に子供とパパかママのどちらかとのピアノの連弾が多かったです。

本番が近づいてくると、子供たちにも増してパパママの方が必死にさらっていたようで、本番は特にパパさんたちが緊張していました笑

子供達は、ひとりで弾くよりもパパママと一緒に出る方がリラックスできるのか、練習通りしっかり弾いていて、本番後も満足気でした。早くも次の発表会を楽しみにしているようです😆✨

本番が近づくにつれてだいたいみんな追い込まれるし(早め早めに曲決めはしてるのになかなかエンジンがかからない😂)家庭、本人、講師の連携プレーでなんとか本番を成功させようともがく期間はみんなきついけれども、みんな必死にやるほど良い演奏をするんですよね。。そして本人も満足し楽しかったからまた頑張る、というこの好循環の連続でピアノが上達していきます。

この過程が上手くいくと“自己肯定感も向上”するように感じます。
‘本番に向かって努力を積み重ねた自分’と、‘緊張の中本番を成功させた自分’が存在するようになり、小さい頃からこの過程を繰り返していくことでメンタルも鍛えられ、自分を信じる力が育っていくのではないかなと思います。

あとは、小さい頃から本番に臨むことで、舞台を楽しむ気持ちを持てるようになって欲しいという願いもあります。

みんな舞台裏ではとても緊張しているのですが、本番後に生徒さんたちから

「緊張したー!でも楽しかったー!!😆」

という声を聞けたときが本当に嬉しいです。

もちろん発表会で不本意な演奏をして悔しい思いもすることもあるかもしれません。だけどそれを恐れて何も挑戦しないでいるより確実に成長しているし、その経験を糧にして次に向かってまた頑張ることで、心も鍛えられて逞しく生きていける人になって欲しいなと思います!!🔥


演奏会でピアノを弾くということ

発表会でもコンクールでも何か本番があると、みんな必死に練習します。
でも多くの人が、何に必死に練習しているかというと、間違えないように、弾けないところが弾けるように、休符に気をつけて強弱に気をつけて。。(かく言う自分も。。汗)

もちろん、とっても大事なことです。

だけど、音楽をやる本当の目的はなんなのか、ということを見失ってはいけません。

正しく間違えないようにするだけならロボットがやればいいんです。

バリバリと技巧的に上手く弾くのを聞いても、すごいことは分かるけれど、何も感動しないし、気持ちが動かされない演奏、というのはよくあることです。(何様なんだ自分。。)

人前で演奏するのは、何かを表現して共有するためであって、正しく弾くのを聞いてもらうためではありません。(でも、人前で間違うのは嫌ですよね。。)

もちろん、聴衆のことは関係なく自己満でいいと言う思いで弾く人もいると思いますが、聞いてる方は、そういう演奏は聞いてるようで耳に入ってこないですね。それって人前で弾く意味は、、あるのでしょうか?みんなの時間を使う訳なので、自己満なら家で1人で弾いとけば良いのではないかなと思います。

私の考えでは、ミスがあったとしても、なんか良かった、感動した、そう思えるような演奏の方が聴きたいし、その演奏に出会えて良かった!と心から思えます。(だけどノーミスで弾きたい!ですよね。。難)

昔々、NHKのアートの番組で司会の方がおっしゃっていた言葉で、演者には2種類あって、

“1つは、舞台上で、自分の世界に観客を引き込むタイプと、自分の世界を観客に向けて一緒に共有するタイプ”

昔過ぎて正確には覚えていませんが、大体こんな内容のことを話していました。前者はベクトルが自分の内部に向いていて、後者は観客に向いていますね。

私個人はどちらかというと前者ですが、どちらでも良いと思います。とにかく表現すること、音楽を感じること。

その喜びを舞台で感じられたら本当に最高です!!
生きていて良かった✨とさえ思えます。

そんな思いを生徒さんたちにも味わって欲しいなぁと思います🕊✨

ハノンが好き?バーナムが好き?

指の独立や俊敏性を養うために使われる教本「ハノン」、テクニックにフォーカスしているので、メロディの美しさや何かをイメージして音にするなどの楽しさはなく、私は子供の頃はこれらの練習は好きではありませんでした。というか嫌いで、弾きながら寝てしまっていることもしょっちゅう。。😪片手練習の時はもう片方の手で漫画を持ち、なんてことも。。w

ですが、私が今見てる子供達の何人かは、曲たちよりも、ハノンが好き!これは私にとっては驚きで、食後のデザート(!)のように、ハノンを最後の楽しみにとっておいたり、好きだから1番最初に弾く、という子もいます。

もう1冊、テクニック向上のために使っている楽譜が「バーナム ピアノテクニック」。

こちらはハノンよりはかなりバラエティに富んでいるし、題名もついているので、想像力や音色の付け方など色々頭の中でイメージして音に出すということが出来ます。なのでハノンよりは楽しみがあるし、1曲1曲が短いので取り組みやすいですが、あくまでテクニックに重きを置いているので、個人的には小さい頃はブルグミュラーなど音楽的な広がりを持つ曲の方が好きでよく練習していました。

ハノンや練習曲は宿題だから、義務だから仕方なくやるか。。という気持ちでしたw

ですが、私の生徒さんはハノンのみならずバーナムが大好きな子も結構いて、宿題に出ていないところも好きな課題を選んで自主的にどんどん練習していたり、続く曲を10曲ほど1週間で練習してきます🥺✨スバラシイ✨

生徒ママさんとお話ししていましたが、指のテクニック系が好きな子は理系な頭の子が多いようだ、、とのこと。。

ピアノを上手に演奏するには、計算したり、組み立てる力も必要になってきます。私自身が嫌いだったものを喜んで取り組む彼らの特性が今後どのように彼らの成長に影響をもたらしていくのかが本当に楽しみです。

子供の特性や性格は千差万別ですが、それぞれの特性を活かした音楽への取り組みが出来るようにサポートしていきたいです✨ワクワク✨

因みに今はハノンも練習曲も好きになりました✨どんな曲もどう弾くか、が重要です💪

エチュード、最後まで辿り着かない?

私の場合、高校に入ったあたりでショパンの練習曲を弾き始めたのですが、、曲の途中から腕に乳酸菌が溜まってきて腕が疲れて重くて最後まで行き着けないw無理矢理いきついても、腕の疲労感が半端なく、手首にも痛みがあることも多々ありました。

先生に痛みのことを訴えても、気合いが足りない、とか、力を抜いてーと言った言葉がけのみで具体的な解決法は何もなく、腕の重みや痛みを騙し騙し弾いていました。

腱鞘炎問題を解決しようと決めて向き合ってわかってきたことですが、手首や腕の重み、痛みが生じている場合、その部分を緩めなさい、力を抜きなさい、と言われて一瞬そうしたとしても、すぐに元に戻ってしまいます。

なぜなら、その不都合が生じている、痛みがある部分に負荷をかけて、バランスを取ることによって指を動かしているのですから。。つまり現在の脳ミソは、不都合な部分でバランスを取らないと指が上手く動かないよ、と思ってしまっている状態です。

本来なら、痛みが生じるような不都合な負荷を手や腕にかけなくても、どれだけ長い早く弾くパッセージも跳躍する箇所でも楽に弾けるようしたいですよね。それには、身体が自然なバランスを保って柔軟に対応できるようにならないといけません。ここでいう「バランス」とは、座ってる時の姿勢、腰、背中、肩、腕、手首、指の第1〜第3関節までが無理なく、ポジションを保っていることです。つまり、真っ直ぐ立った状態と同じことです。よく「脱力が大事」と言いますが、寝転がった時の全身脱力とは違うわけで、直立や普通の歩行でも余分な力や身体のどこにも負荷をかけなくても上手く身体が動くように、ピアノでも腕や手首に余計な負荷をかけなくても思ったように動く状態にできます。

さて、その失ってしまった本来のバランスを取り戻すのが難しい、というのが現実です。特に大人の人は長年の癖が身体に染み付いて、それを頭が記憶してしまっているので、それを1度リセットするのが1番難しいです。

本格的に取り組んだら、一時は曲を弾けなくなるかもしれません。

だけど、せっかくの大好きなピアノ、生涯を通じて長く弾いていきたい、難易度の高い曲でも弾いていきたい、という思いがあったら、やはり身体が故障しないように弾く弾き方、というのを身につけたいですよね。

原因は人それぞれなので、ここでは解決のヒントになるようなことをいくつか書いておきたいと思います。

①指の第1関節が機能しているか
②指の第3関節は機能してるのか
③拍子にのって弾いているか
④音をよく聞いているか

①指の第1関節が機能しているか

第1関節、この部分で支えられていないと腕の重みを感じるのも、鍵盤のコントロールも出来なくて、腕や手首に負荷がかかってきます。

②指の第3関節は機能しているか

ここが凹んでいると、指全体が動きにくくなって早いパッセージを弾くときに、手首をふってカバーしようとするため腕や身体に負荷がかかりやすくなります。

③拍子にのって弾いているか

音楽には呼吸とともに強迫、弱拍があります。それを無視して弾くということは、呼吸、自然な動きから外れる、身体、手に負荷がかかるということになります。例えば、音楽の流れ的には拍をアップビート(弱拍)でいきたいところ、ダウン(強迫)に無理やり弾いてしまったりということです。

④音をよく聞いているか

音をよく聞くということは、頭の中にまず音楽があって、実際に自分が奏でた音はイメージした響き、音が鳴っているか、または音楽の流れをチェックする、ということです。音を聞いていない時は、実際は響きのバランスが崩れていたり、流れを無視してしまって、結果余計な力が入っていたりします。気付かぬうちに。。

まとめ

ショパンのエチュードが最後まで弾けない。。途中で腕が重くなって辿りつけない、最後まで弾いても手首に痛みが、、などの症状がでるということは、指が独立してない、ピアノを弾く概念がずれてるなどの理由で身体が上手く使えてない結果です。難しいのは、原因は一つでなく複数の要因が重なっていることが多く、音の聴き方や指先への伝達方法は感覚なので目に見えないということが言えるかと思います。なので弾き方、座り方などの見た目から入る情報だけを真似して直しても根本の解決に至らないことが多いです。
これまでの時間をかけて染み付いた感覚を修正する、ということは簡単なことではありませんが、生涯を通して末長くピアノを弾いていくためにも肉体的に負担がかからない弾き方を見つけて欲しいと思います。

音楽の道はお金がかかる(高校3年生〜音大受験)

今回はお金について書きたいと思います。
音楽大学に進学をするとなると入学前も後もお金がかかります。

私自身、音楽大学に進学させて頂いたわけですが、地方の高校ですでに音楽科にいたので、自然の流れで音大にいくだろうなというのは思いながら過ごしていたのですが、どの大学にいくか決定したのは高校3年生に上がる前くらいですかね。。

そんなこんなで、どこにどれくらいお金がかかるのかというのを書いてみようと思います。

其の1

まず普段のピアノレッスン(地方)。

月に2回受けてました。費用は1時間10000万円。地方だと1時間5000ー15000円位が相場かなと思います。それにたまのマスタークラス受講のレッスン費用。国内外の音楽大学の教授、ピアニストのレッスンを受けるチャンスというのがあるので、そこでより自分の音楽性を磨いたり、進学や留学のコネクションを掴むためにもとっても良い機会です。そこで先生に気に入ってもらえたら、道が開かれることもありますし、海外でのマスタークラスやコンクールに参加するきっかけになることもあります。なので、普段のレッスンよりかなりお値段高くなりますが、たくさんの熱心な生徒さんが受講しています。お値段は1時間25000円程になります。プラス必要であれば通訳費、スタジオ代、また地方から東京に受けに来る場合は移動、宿泊代(親子2人分)もかかってきます。

其の2

後は、コンクール参加に際しての費用。

参加費はもちろんですが、コンクールや先生によっては、若干宗教ちっくに先生様のような様相を醸し出してることもあるので、入賞するために、コンクールが近くなってきたら、レッスン回数も増え費用も増していきます。

其の3

次に音楽大学で教えてるピアノ専攻の先生のレッスン代に関して。


私の場合ですが、志望校を決定した高校3年生のときから、受験する大学でレッスンしている先生に習うために月に2回ほど、地方から東京の先生のお宅に飛行機✈️で日帰りで通っていました。私の先生のレッスンは1時間20000円
その先生は教授ではなかったのですが、教授クラスになると1時間30000円くらいかかる場合もあります。その上、往復の飛行機代が毎回、と先生の門下生コンサート年3回の出演費、先生のコンサートのチケット10枚分購入書籍購入などなど。。
音大の先生に纏わるお金に関することは、先生によってだいぶ違うので、こんなにかからない門下、これ以上お金がかかる門下もあります。

いざ音大受験を迎えるに当たって、試験期間中の宿泊、練習場所の確保が必須となりますが、私の場合は先輩がお家を貸してくれたのでかなり助かりました。

其の4

無事合格を果たし、、

合格のお礼として、地方の先生に10万円、これからお世話になる先生に20万円包みご挨拶しました。

そして音楽大学入学金、授業料。これが高い。私の場合は桐朋学園大学を出たので、桐朋のリンクを貼らせていただきます(2018年度入学生からなので私の時とは異なります)。
https://www.tohomusic.ac.jp/college/admissions/fee.html

入学時に納める金額が合計1753300円

まとめ

ということで、車が1台買える金額を投入していただき、志望校合格、入学の道を掴ませていただいた訳ですが、滑り止めを受けずに桐朋一択の上、金銭的にも2回目は無理だったため、落ちたらあとがない状態で血眼で練習した記憶があります。

スポーツの世界もお医者さんになる道に進むのも、そして音楽の道もお金がかかりますね。。ただ音楽の場合(他の専門分野のことは知らない)、光る才能があれば、授業料免除特待生として迎えてくれる制度もあります。また日本の音大ではなく海外の音大に進学した方がコストを抑えられたり海外へ行く支援制度もあるので、音楽の道を志す人は視野を広めてたくさん情報を集めて進路を決定すると良いと思います。


何度聴いても心が震える曲

クラシックの曲で大好きな曲はたくさんあるのですが、総じて協奏曲が大好きです。特にピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲。その中で、心、魂が震える曲は、

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲2番

です✨

ラフマニノフが精神的苦しみから立ち上がった曲というのもあり、生きる底力、というのか言葉では言い表せないほどの物凄いエネルギーを感じます。

昔、演奏会で保身に走って上手く弾けず、家に帰ってからたまたまこの曲を聴いて、圧倒的な存在の音楽の前に、自分何やってんだろう、、と大泣きしながら寝たことがありますw

1回聴きだすとあっという間に引き込まれます。個人的にはロシア人であるラフマニノフが作ったこの傑作を、ロシア人の指揮者、ピアニスト、ロシアのオーケストラで演奏されたこちらが1番好好きです。

協奏曲でないソロの演奏も独特の緊張感と集中力とともにある迫力と繊細さがあり大好きなのですが、協奏曲はやはり大勢が一つになった時の物凄いエネルギーとパワー、そして曲の随所に現れるそれぞれの楽器のソロパートの際立つ美しさがたまりません😆全てに圧倒されてこちらも音楽の渦に巻き込まれていきます。

他にもシベリウスのヴァイオリン協奏曲やモーツァルトのピアノ協奏曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲などなど、また次回以降のブログで書きたいと思います。

新学期に入って登校するのか パラ観戦

さまざまな地域の生徒さん達と普段から関わっているので、あちこちの新学期の小学校の様子を聞いています。

対応としては、自由登校、隔日登校、時間差登校、夏休み延長などがあるようです。何も変わらず通常通りの登校にしていてもオンライン授業を試す日を作ってる学校もありました。あとは自主的に親御さんが学校に行かせないと決めていらっしゃるご家庭もいくつもあります。

パラリンピック観戦に参加する子は誰一人としていませんでした。正直、みんなが行かないという選択をしてホッとしました。。通常の学校生活でさえ心配なのにわざわざ感染確率を高める行動には気が揉めます。
本当に、、安心できる状況だったらパラリンピックを会場で観戦できるなんて貴重な機会、たとえその日がピアノのレッスンと被っていてもレッスンより観戦に行ってらっしゃーい!感想教えてね!!と送りだしてたでしょう。

ですが、状況が状況。

子供の中でも、学校行くの怖い。。と話してる子もいるので、国や学校の意向や現実的な障壁等あるでしょうし、先生方の計り知れない労力と時間を要してしまうのでしょうが、子供の気持ちも含めて行動の選択が出来るようになって欲しいなと思います。行かないと決断した、子供さん、ご家庭も学習内容に隔たりがないように学校での授業を配信する等、学習内容や進度が分かるようになったら良いなと部外者ながらも勝手に思っています。

イタリアの街は音楽用語が溢れてる(1)

前回の記事で、音楽ではドイツ語とイタリア語がたくさん使われているので、1度は現地に行って、紙の上だけでない、生きた言葉、意味を感じて欲しいと書きましたので、今回はもう少し具体的に書いてみたいと思います。あ、あとフランス語もできたらいいですね。

私はイタリアにいたのでイタリア語の音楽記号で書きたいと思います。

例えば、フェルマータという音楽記号がありますが、これは本だけで学ぶと、’ほどよく伸ばす’なので、そこで長めにすることだけ考えますが、イタリアに行ったら、電車のアナウンスでこの言葉を聞きます。電車に乗っていて、次の駅が近づくと、「次のフェルマータは、◯◯です」と流れる。つまり、止まるところ、停車するところ、という意味ですね。こうすると、頭で考えるだけでなく、体感としてフェルマータの意味が感じられませんか。

フェルマータ』の意味 – ワインバー フェルマータ

フォルテは’強い’という意味ですが、イタリアでは、「あなたはフォルテだね!」「このコーヒーはフォルテすぎる!」などと言います。最初の方は、場面にもよりますが、勇気があるね!とか度胸があるね、性格が強い、などのように使われ、後者の方はコーヒーが濃すぎる、苦すぎるの意味です。

フォルテ | クリップアート | プリントアウトファクトリー | MyRICOH

ポコはpoco forte 、poco cresc.のように、少し強く、少しだんだん強くなど、’少し’の意味で使われます。普段の会話では、「ポコあとで 」「ポコ食べる」のように頻繁に使います。

logo_pocorit.png

これらの言葉を音楽用語としてのみ捉えずに生きた言葉として肌で感じられると楽譜を読むのも楽しくなりますし、表現にも幅がでますね✨

まだまだいっぱいありますが、また次回以降の記事で書きたいと思います。

小さい頃から母国語以外を学ぶ

現在、私と一緒にピアノのレッスンをしてる子供達の何人かは2〜3言語話せます。日本語、英語、中国語、韓国語、アフリカーンス語のいずれかの組み合わせで、母国語ではない言語もネイティブの子もいますし、母国語以外はネイティブではないけど、意思疎通は出来るくらいは話せています。

私からすると、本当に羨ましい環境にいるなぁ、と思います。自分の場合は、10代過ぎてから英語に触れるようになり、30歳辺りでドイツ語やイタリア語を学んでいるので、どうしても、発音は悪いし、文法の苦労やセンテンスが自然でないです。というか不自然連発ですwもう、いつまで経っても思い描くほど喋れるようにはならないのでは。。と絶望しそうになります笑 というか大人になったらネイティブにはならないので、子供のうちから母国語以外の言語に1つでも触れていくというのは、その子の財産となっていくのではないかなと思います。

また、喋る言語によって、個人差はあれど人格とまではいかなくてもその子のキャラクターが変わって来るので、色々な言語に小さい頃から馴染んでいると、やはり人格形成や自信、思考力、環境への適応能力にも影響があると思います。言語が出来るかどうかにによって行動パターンも変わってきますし、いくら言語変換器が進んだところで、やはり人と人の対話においては直接的に言葉を交わした方が圧倒的にいいわけで。

音楽においては、イタリア語とドイツ語がたくさん使われるので、やはり旅行にいくなどでも、現地で生の言語に触れてほしいですね。

その言語を生きたものとして身体でわかるようになります。そのことについては次の記事で書きたいと思います。

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