“失敗”-挑戦と幸せと-

みなさん、こんにちは!
コンムジカピアノアカデミーの野田です♪

今日は、

失敗。。

について書いていこうと思います。

失敗ってなに?

ピアノで言ったら思ったように弾けなかった?間違えた?

試験で言ったら、受からなかったなどでしょうか。

失敗、、したくないですよね。本人だって嫌だし、保護者の方だって、、

うちの子

失敗したらどうしよう。

トラウマになったらどうしよう。

心配ですよね。そりゃそうです。

失敗して落ち込んだり、泣いたり、見てる方も辛いです。

挑戦しなければ、そんな辛そうな姿を見なくてすむんです。
こちらもしんどい思いをしなくて済む。

だけど!!

それで挑戦をやめることはナンセンス、だと思います。

発表会でもコンクールでも難しそうな曲でもやってみたい!と子供が言えば、やってみたら良いと思うんです。

上手にサポートしながら。
そして何があっても受け止める、と腹を括って。

これから長い人生が待っている子供たち。

ただ生きているだけで、

ただ生きているだけで、落とし穴とも言えるような予期しなかったことが人生には起こってしまうもの。

苦境とも言える人生の場面に立ち向かって、自分の手で這い上がっていく力を蓄えていく方が、幸せをつかんでいくのではないかなと思います。

周りの大人達が決めた安全そうな道だけを通って育っていくのは、逆にリスクも存在すると実体験を通して思います。

失敗したらダメ

と思い込むことは、その子を追い詰めることもあるし、挑戦して道を切り開いていくことの妨げにもなります。

失敗する怖さって存在します。それを無視することはなかなか難しい。

だからこそ、その怖さをエネルギーにして努力できる強さ、

失敗なんてどうってことないわ!やりたいことをやる!とガシガシ前進していける気持ちを持って何にでも挑戦して豊かな人生を送って欲しいなと思います。

アルゲリッチのコンサート

6月のことですが、アルゲリッチ様のコンサートに行った記録として書きたいと思います。

6月6日サントリーホールで行われた、アルゲリッチとクレーメルのコンサートに行ってきました。プログラム最後にトリオがあったので、その時はディルヴァナウスカイテ(私は存じ上げなかった)さんという女性のチェリストの方も共演されていました。

アルゲリッチのコンサートは、高校の修学旅行の時に2台ピアノを聴いたきりで、あとは映像で聴くのみでしたが、もう81歳のご高齢でこの機会に絶対ライブで聴きたい!と思ってチケット代は高かったですが、速攻仕事を調整して座席を確保しました。

Sould Outになるのがとっても早かった!

さてもう本当に楽しみに迎えた当日、たくさんの人で開場が埋め尽くされていました。

プログラムは、戦争の影響があり、かなり重い感じの内容でした。

が、

最後のショスタコーヴィチ2番のトリオまで終始息を飲むような音楽の世界に連れて行ってくれた一流芸術家の凄みを体感できたことは生涯忘れません。

ヴァイオリンとピアノのそれぞれのソロ、ピアノとヴァイオリンのデュオ、ピアノトリオで組まれており、唯一、アルゲリッチ様のピアノソロとアンコールでのみ、馴染みのクラシックが演奏されました。

ソロはその瞬間まで何を弾くかは聴衆には知らされておらず、ワクワクしていました。

シューマンの子供の情景で始まり、プログラムの流れからいくと意外だなぁと思っていたら、最初の一曲目のみでまるで一つの曲のようにバッハに移り、そのあとスカルラッティにつながっていきました。

ちょっとキョトンとしたというか、一瞬、何が起こったんだろうとなんだか焦りました笑 アルゲリッチワールド全開。

アルゲリッチのあの音や音楽はやはりライブでこそだと思いました。

もちろん映像でもすごいですが、割とテクニックの凄まじさ、キレの良い音楽作りの方に目がいきがちのように思います。会場で聴いて実感したのは、なんというピアニッシモの美しさ、極限まであの弱音を会場に響かせる感覚のすごさでした。

あの極限の弱音から強音までのダイナミクックレンジの幅広さとともに独特の音楽の波というか渦が巻き起こって飲み込まれてあっという間に終演となりました。

なんという音楽の強さ。

アンコールもたくさん弾いてくれて聴衆も総立でスタンディングオベーションでした。

言葉でこの熱い思いを語り尽くすのは難しいですが、とにかくあの夜に会場に居合わせることが出来て本当に幸せでした。

一生記憶に残り続けるでしょう。。。

シニアのピアノ、心の健康

私の生徒さんの中で1番ご高齢の方が74歳のシニアの生徒さんなのですが、その方を見ていて改めて生き方や人生と音楽について考えることがあるのでそれを書いてみたいと思います。

人生はあっという間で、必死に成長して、もがいているうちに時間はどんどん加速度的に過ぎていきます。。いくような感覚がします。

ふと、人間の生きてる理由ってなんだろうと考えることがあります。

人生は修行の旅とか、魂を磨く旅とかいう言葉はありますが、でも、苦しむためというよりは、幸せのために生きるんだという風に私は思います。

だけど、苦しいことはやってくるというか常に傍に存在しています。

だからこそ、幸せを感じる何か、手助けをしてくれる存在、というのが人には必要なのではないかなと思います。

それが、友達の存在であったり、スポーツ、ダンス、園芸、アート、料理などなど、そして音楽も。

それはもう人それぞれですね。

これらは経済の面で言うと、お金を産むわけではないですが、だけど、精神面の充実という生きていく上でとっても大事な面を支えてくれます。

それは現役時代ではもちろんのこと、お仕事を引退したあとにも、お仕事は続けながらシニア世代に入った方々にもそういった存在がとても必要なんじゃないかと思っていて、人間、生きている目標や意義といったものが感じられなくなると気持ちがしずみがちになり、ひどくなると心が病気になってしまうことも多々あるんだと思います。

音楽でもなんでも、それをやること、そのもの自体を楽しむということはもちろんありますが、人間の本来の喜びとして、新しいものを知る喜び、学びを深める喜び、上達していく喜び、があると思います。

それらを日々実感できると生きていく上でそんなに心が病むことはないのではないかなと思います。

’クラシックピアノ’というカテゴリーで言うと、クラシック音楽は底知れぬほど奥と幅が広く、最初のひとかじりだけでも膨大にやることがあります。それを指導者と一緒になってそのひとかじりの範囲を広げていくこと、また少しずつでも、努力を積み重ねていけば、確実に上達する実感を得られることが出来ます。

また、音楽をやっていく上で大事な根幹は、人生や他の分野での学びとつながっていることなどなど飽きることがありません。

冒頭お話したシニアの生徒さんとの会話で、印象に残る会話のフレーズで、

“ピアノを弾くということは、自分の身体のいろんな部分や感覚をコントロールすることなんですね”

といった内容のことがあります。

もちろんピアノと直接触れあうのは指であり、指を動かしてピアノを弾くわけですが、音色のコントロールやスムーズに指を動かすためには、背中や腕の意識、手首の使い方、呼吸、耳で音をよく聴いて弾かなくてはいけません。また、拍子を取りながらリズムを感じて、フレーズを歌わせて、、またイマジネーションを豊かにするために、作曲家のことを知ったり、色々な音楽を聴くことも大事ですね。

それらをいっぺんにやるのではなく、少しずつ少しずつ繰り返し取り組んでいくことでだんだん意識と身体に馴染んできます。

なかなかこういったことを普段の生活で総動員して行うような行動はなく、ピアノと向き合うからこそ得られる、感覚、意識、身体の使い方なのではないかと思います。

私の知り合いの先生の生徒さんの中には80歳を超えてショパンを弾いていらっしゃる女性のお話を聞いてなんて素敵なんだろう。。と感嘆しました。

私のシニアの生徒さんも、毎回楽しそうにレッスンを受けてくださっており、新しい発見や、また出来ないことへのもどかしさなど講師である私とあーだこーだと話し合いをしながら、成長度合いを喜び、日々ピアノと向き合っていらっしゃいます。

私もお話の中から多くの学びがあり、よりレッスンを良いものにしようと意欲が向上します。

ピアノが心の拠り所となる幅広い年代の方と出会えるといいなぁと日々思っています。

ピアノ・ヴァイオリン発表会

6月後半のことなんですが、目黒パーシモン小ホールで「ピアノ・ヴァイオリン発表会」を開催しました。その時のみんなの演奏写真や集合写真、希望した生徒さんたちにはCDが出来上がってきたのでお渡ししているところです。

つい1ヶ月半前のことですが、遠い昔のことのように感じるとみんな言っています笑

発表会という場がかなり日常生活とは離れた空間になっているので、そこから切り離された時間との乖離を強く感じるのかもしれません。

今年は親子共演がたくさんありました👪✨

♪ピアノ(子)✖️ピアノ(父または母)
♪ヴァイオリン(子)✖️ピアノ(父または母)
♪ヴァイオリン(子)✖️鍵盤ハーモニカ(父)

例年は、子供どうしの連弾や講師との連弾が多いですが、コロナ禍にあり、お友達どうしの連弾は避けた状況というのもあり、特に子供とパパかママのどちらかとのピアノの連弾が多かったです。

本番が近づいてくると、子供たちにも増してパパママの方が必死にさらっていたようで、本番は特にパパさんたちが緊張していました笑

子供達は、ひとりで弾くよりもパパママと一緒に出る方がリラックスできるのか、練習通りしっかり弾いていて、本番後も満足気でした。早くも次の発表会を楽しみにしているようです😆✨

本番が近づくにつれてだいたいみんな追い込まれるし(早め早めに曲決めはしてるのになかなかエンジンがかからない😂)家庭、本人、講師の連携プレーでなんとか本番を成功させようともがく期間はみんなきついけれども、みんな必死にやるほど良い演奏をするんですよね。。そして本人も満足し楽しかったからまた頑張る、というこの好循環の連続でピアノが上達していきます。

この過程が上手くいくと“自己肯定感も向上”するように感じます。
‘本番に向かって努力を積み重ねた自分’と、‘緊張の中本番を成功させた自分’が存在するようになり、小さい頃からこの過程を繰り返していくことでメンタルも鍛えられ、自分を信じる力が育っていくのではないかなと思います。

あとは、小さい頃から本番に臨むことで、舞台を楽しむ気持ちを持てるようになって欲しいという願いもあります。

みんな舞台裏ではとても緊張しているのですが、本番後に生徒さんたちから

「緊張したー!でも楽しかったー!!😆」

という声を聞けたときが本当に嬉しいです。

もちろん発表会で不本意な演奏をして悔しい思いもすることもあるかもしれません。だけどそれを恐れて何も挑戦しないでいるより確実に成長しているし、その経験を糧にして次に向かってまた頑張ることで、心も鍛えられて逞しく生きていける人になって欲しいなと思います!!🔥


30歳からの音楽留学【前半】

私個人の話ですが、30歳になってからの音楽留学について書いてみたいと思います。

…30歳で音楽留学

と聞くと、え?遅くない?というのが普通の反応だと思います。

音楽留学というと、高校〜大学卒業あたり、遅くとも大学院を卒業した20代前半頃には、、というのが一般的かなと思います。早い子は小学生の時には日本を出て海外に勉強に行く子もいます。

なぜ音楽留学するなら早めに、かというと、やはり若いうちの方が、あらゆる面、例えば、テクニック、音楽性、意識の改革などの面に置いて、伸び代がながーーいというのがあるかと思います。

このことについては今後の記事で書きます。

30歳から音楽留学、何を今更。。この考えが頭をよぎり続けましたが、そこからは目を背け続けました笑  

逆に、今しかない!という思いの方が強かったかもしれません。

そして無我夢中でこの歳での留学、ということにまずは漕ぎ着けることとなったのです。実際に留学しようと決意して動き出したのが28歳の時でしたが、仕事も簡単に辞められるわけではないし、山盛りの準備などでかなり時間がかかりました。

実際に留学して得られたものは、、、

今後の生き方を揺るがすほど大きかった!!

です。

①テクニックの改善
②豊富な演奏経験
③外国語の習得
④凝り固まった価値観の崩壊
⑤自己肯定感の向上
⑥基礎の再習得
⑦世界のピアノ上級者のレベルを肌で感じる
⑧作曲家の生きた国を体感できる

①テクニックの改善

そもそも留学したいとずっと思っていた大きな理由の一つが、ピアノを弾くテクニックの改善でした。

腱鞘炎を発症してしまうピアノの弾き方を改善すべく、自分で本を読んだり、動画で検証したり、改善の手助けをしてくれる先生を探してレッスンを受けさせてもらったりしていたのですが、なかなか糸口を見出せず、、海外までその手を伸ばしたときに出会ったのがアキレス・デル・ヴィーニュ先生。その先生に腱鞘炎の原因が手ではなく、頭にあるということを指摘され、その先生の勧めでイタリアで勉強することになりました。

レギュラーのレッスンをしてくださっていたのは、弟子のカルロ・パレーゼ先生。脱力して音を1音出すことから始まり、後に打鍵の根本を教えてくださったステファノ・フィウッツィ先生のおかげで、今では手の痛みが生じない弾き方ができるようになりました。また、私がレッスンする立場になった時に、手に負担がかからない弾き方、痛みが生じてしまったときの原因の解明ができるようになった事が本当に大きな財産となっています。

ピアノを弾くことが”苦”ではなく、喜びに変わったほどテクニックの改善は私にとっては重要で、留学して、自分に合った素晴らしい先生に出会ったこと、改善する時間を得られたこと、また良い音、響を聞く耳が持てるようになったことが人生を揺るがす大きな収穫となったことは間違いないです。

②豊富な演奏経験

留学ということでまた学生、という立場に戻った訳ですが、まず思ったことは

学生という立場って、なんて恵まれているんだ!∑(゚Д゚)

ということです。

学校に入れば、自動的に演奏機会がたくさんやってきます。学校の試験や演奏会はもちろんのこと、コンクールなどの情報も友達や先生からたくさんもらえるし、室内楽や伴奏、コレペティをやる機会も自ら探して行かなくても居るだけでいただけるというのは、本当にありがたいことでした。

また、コンサートで弾くにあたって、宣伝も集客も場所をおさえるのも全てオーガナイズしていただけるなんて、、ありがとう!!の極みです笑

③外国語の習得

やはり海外に住むということは、外国語を習得できる絶好の機会!でもあります。もちろん、日本にいても外国語の勉強は出来ますが、交通機関の利用、買い物、カフェ、病院、銀行などなど生活の全てを外国語でやっていくというのは、海外にいないと実現しないことで、必死さと質と量に置いて身に付く速度が全く違います。

もちろん、学校に入ったら授業も教授や友達とのコミュニケーションも全て現地の言葉ですし、学校に入るにもインタビューがあったり、事前に語学のレベル証明をしなければならない学校もあるので、それこそ必死で準備もすると思います。

究極のインプットアウトプットの繰り返しが出来るのは海外ならではですね。

あとは、トラブルがあったときに現地の言葉を話せないと立場が弱く負けてしまうので、自分を守るためにも必死でしゃべってました汗

④凝り固まった価値観の崩壊

東京の大学にいたときは、私の師事していた先生の性格の影響と、もともとの自分の根暗な部分がハーモニーを醸し出してしまい、

ピアノが上手くない=ダメ人間ヽ(;▽;)ノ

私には価値がない私には価値がないワタシニハカチガナイワタシニハカチガナイ……

この方程式のもと、苦しみながらピアノを弾いていました。
この状況で迎える本番の恐ろしさといったら。。。((((;゚Д゚)))))))

海外に行って1番変化した思考というのは、

ダメな自分も失敗した自分も受け止める

ということ。

留学に際して、生活面でも音楽面でもあまりにも失敗の連続で、ダメな自分に対する耐性ができたのと、失敗→復活→失敗→復活の繰り返しでメンタルが強くなったということがあります。環境でいうと、周りのイタリア人や外国人の友達を見ていて、逆境や失敗があってもいちいち嘆かない、、一時は落ち込んでますが、それを引きずって自信喪失にまで落ち込まないで割と翌日にはあっけらかんとしていることが私には衝撃でした。

それに、改めて、世界中にはこんなにもたくさんのピアノの上手な人がいて、才能溢れる彼らと比較して落ちこむだけ無駄だと腹の底から腑に落ちたというか。。そこから、自分が出来ることに取り組むこと、一生、自己成長は続けようと決めてから、ピアノに向かうことが楽しくなり出しました。

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⑤自己肯定感の向上

自己肯定感が上がったというのは、前にお話しした、凝り固まった価値観の崩壊と繋がっていますが、そう、自己肯定感がえぐれるほどなかったのですが、その穴ぼこが少しずつ埋まっていった感じです。

私にとっては不思議だったことですが、、

日本にいた時は、かなり周りに守られて、敷いてくれたレールの上を走っていたため大きな挫折はなく生きていました。だけど自分のことが嫌いでたまらなかった。その上、大きな失敗がなかったため変なプライドだけは高くてどうしようもなかったです。

留学してからは、暗闇の中を手探りで道を進み、合ってるかも間違ってるかも分からない道を気合いだけで歩いていくうちに行き止まりになったり、落とし穴に落ちたり、、ほぼ失敗しかしてない状況だったにも関わらず、そんな行動してる自分が好きになってきたんですよね。。w 上手く行かなくても、人から決められたレールを生きていくより、自分の意思で取捨選択、決定をして生きていく自分の方が私は幸せを感じるようです。

いろんな価値観に触れて、いろんな文化を知って、たくさんの国の友達や先生と出会って、失敗して上手くいくこともあって、自分は自分でいいのかもって思えるようになりました。

今後の人生が苦しいままか、楽しく進んでいけるかの分岐点ともなりましたね。。

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⑧まで全部書こう思いましたが、時間がかかりそうなのでここで1回止めて続きは次の記事で書こうと思います。もしよろしければ次もお読みになって頂けたら嬉しいですm(__)m✨

演奏会でピアノを弾くということ

発表会でもコンクールでも何か本番があると、みんな必死に練習します。
でも多くの人が、何に必死に練習しているかというと、間違えないように、弾けないところが弾けるように、休符に気をつけて強弱に気をつけて。。(かく言う自分も。。汗)

もちろん、とっても大事なことです。

だけど、音楽をやる本当の目的はなんなのか、ということを見失ってはいけません。

正しく間違えないようにするだけならロボットがやればいいんです。

バリバリと技巧的に上手く弾くのを聞いても、すごいことは分かるけれど、何も感動しないし、気持ちが動かされない演奏、というのはよくあることです。(何様なんだ自分。。)

人前で演奏するのは、何かを表現して共有するためであって、正しく弾くのを聞いてもらうためではありません。(でも、人前で間違うのは嫌ですよね。。)

もちろん、聴衆のことは関係なく自己満でいいと言う思いで弾く人もいると思いますが、聞いてる方は、そういう演奏は聞いてるようで耳に入ってこないですね。それって人前で弾く意味は、、あるのでしょうか?みんなの時間を使う訳なので、自己満なら家で1人で弾いとけば良いのではないかなと思います。

私の考えでは、ミスがあったとしても、なんか良かった、感動した、そう思えるような演奏の方が聴きたいし、その演奏に出会えて良かった!と心から思えます。(だけどノーミスで弾きたい!ですよね。。難)

昔々、NHKのアートの番組で司会の方がおっしゃっていた言葉で、演者には2種類あって、

“1つは、舞台上で、自分の世界に観客を引き込むタイプと、自分の世界を観客に向けて一緒に共有するタイプ”

昔過ぎて正確には覚えていませんが、大体こんな内容のことを話していました。前者はベクトルが自分の内部に向いていて、後者は観客に向いていますね。

私個人はどちらかというと前者ですが、どちらでも良いと思います。とにかく表現すること、音楽を感じること。

その喜びを舞台で感じられたら本当に最高です!!
生きていて良かった✨とさえ思えます。

そんな思いを生徒さんたちにも味わって欲しいなぁと思います🕊✨

音楽で食べていくのに音大は必要か?

お題の通り、将来的に音楽で食べていくのに音大を出ている必要はあるか、、との問いに対して、、答えは、、NO (T-T)です。※あくまでもピアノの場合です。

それも’場合によりけり’ですが。。

イラストポップ 学校のイラスト | 音楽No23ピアノの無料素材

その’場合’というのを見ていこうと思います。

ケース1

まず、演奏家になりたいのであれば、音大をでる必然性はない、です。
どこの音大を出ているか、より実力や人気がものをいうからです。その実力を証明するのには学校名よりもどのような演奏をするか。一般大学にいようが、フリーターだろうが、社会的な背景は何も関係なく、どんな音楽を奏でるのか、どれだけ多くの人に求められるのか、それが全てです。

自分の演奏を聴いてもらえる機会なんて今の時代いくらでもあって、コンクールに出たり、SNSに自分の演奏を載せたり、自分で演奏する機会を企画しても良いですね。そこで人を惹きつけるものを持っていれば、チャンスを掴めるかもしれません。

このような活動に音大にいってる行ってないは関係ないですよね。その場その場で成果を出してチャンスを掴んでいけば道は開けるでしょう。現に、T大やK大の医学部在学中から音楽家として名が知られている人もちらほらいます。

爆発的な才能がある人は、むしろ日本の音楽大学にはなかなか行かないですね。進学しても一般の授業は受けなくて済むような特別コースに籍を置いて活動するか、小さいうちから海外に行って音楽ネイティブの環境で世界でも通用するような音楽性を身につけていくものです。そこから上手く育っていくのは、環境や運によっても左右されますが、周りがほっとかないです。

後に、もし演奏活動をストップしたり、何かの理由で活動が出来なくなった場合でも、過去の経歴や人気や活動が世間に認知されていれば、いくらでも生徒さんが集まるし、音楽にまつわるお仕事でお声がかかるでしょう。(前もっての人間関係構築は重要ですが)

ケース2

演奏家になれるのは言うてもほんの一握り。演奏家として生きていくためには、ただピアノが上手いだけでは成り立ちません。人脈作り、自分を売り込んでいくタフさ、圧倒的な行動力、またSNSで売っていくなら、キャラや容姿、お喋りが上手いなどの要素が必要になってきます。
ピアノはとても上手いけれど、スターになるほどではない場合は、音大を出ているとメリットはかなりあると思います。音大を出たというバックグランドが得られれば、分かりやすく社会的信用を1ポイントくらい得られますし、人選の際の一つの大きな要素となります。例えば、音大や音高の先生になったり、一般の音楽教室ででも、やはり講師になる人はふるいにかけられるので、どこの大学を出ているかによって働く環境というのはかなり違ってきます。

また音楽大学で得られる友人や知り合いなどの人の繋がりもかなり大きく、私の場合ですが、留学に関する情報や、演奏会や生徒のコンサートの開催、伴奏や演奏会の企画、コンクールに関する情報まで、全て音大時代の友人や先生の繋がりで動いています。また母校から生徒さんを紹介されることもあります。

地球マークイラストのフリー素材|イラストイメージ

ケース3

海外に留学して学ぶ場合は向こうの音楽大学、音楽院に入って学ぶことになると思います。ビザの関係もありますし、練習環境などを考えればそこに籍を置いて動いていくということになるでしょう。ここで音楽仲間と出会って室内楽を組んだり、コンチェルトを学んだり、オペラなどの自分の専門分野以外のことも学ぶ機会があります。また、ここで将来につながる人間関係も築くチャンスがあります。

まとめ

今回は三つのケースをお話ししましたが、どのような選択をするのが正しいのかなんて誰にも分かりません。その環境を上手く使いこなせれば、どの道に進んでも正解です。音大に行っても行かなくても音楽と生きていくことは出来るし、チャンスを作っていくことはできます。ただ選択によっては生き方が変わってきますね。

人生どのように生きていきたいかを考えて、音大に行くメリットデメリットをふまえた上で自分にとって納得いく選択ができたら良いのではないかなと思います。

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