30歳からの音楽留学【前半】

私個人の話ですが、30歳になってからの音楽留学について書いてみたいと思います。

…30歳で音楽留学

と聞くと、え?遅くない?というのが普通の反応だと思います。

音楽留学というと、高校〜大学卒業あたり、遅くとも大学院を卒業した20代前半頃には、、というのが一般的かなと思います。早い子は小学生の時には日本を出て海外に勉強に行く子もいます。

なぜ音楽留学するなら早めに、かというと、やはり若いうちの方が、あらゆる面、例えば、テクニック、音楽性、意識の改革などの面に置いて、伸び代がながーーいというのがあるかと思います。

このことについては今後の記事で書きます。

30歳から音楽留学、何を今更。。この考えが頭をよぎり続けましたが、そこからは目を背け続けました笑  

逆に、今しかない!という思いの方が強かったかもしれません。

そして無我夢中でこの歳での留学、ということにまずは漕ぎ着けることとなったのです。実際に留学しようと決意して動き出したのが28歳の時でしたが、仕事も簡単に辞められるわけではないし、山盛りの準備などでかなり時間がかかりました。

実際に留学して得られたものは、、、

今後の生き方を揺るがすほど大きかった!!

です。

①テクニックの改善
②豊富な演奏経験
③外国語の習得
④凝り固まった価値観の崩壊
⑤自己肯定感の向上
⑥基礎の再習得
⑦世界のピアノ上級者のレベルを肌で感じる
⑧作曲家の生きた国を体感できる

①テクニックの改善

そもそも留学したいとずっと思っていた大きな理由の一つが、ピアノを弾くテクニックの改善でした。

腱鞘炎を発症してしまうピアノの弾き方を改善すべく、自分で本を読んだり、動画で検証したり、改善の手助けをしてくれる先生を探してレッスンを受けさせてもらったりしていたのですが、なかなか糸口を見出せず、、海外までその手を伸ばしたときに出会ったのがアキレス・デル・ヴィーニュ先生。その先生に腱鞘炎の原因が手ではなく、頭にあるということを指摘され、その先生の勧めでイタリアで勉強することになりました。

レギュラーのレッスンをしてくださっていたのは、弟子のカルロ・パレーゼ先生。脱力して音を1音出すことから始まり、後に打鍵の根本を教えてくださったステファノ・フィウッツィ先生のおかげで、今では手の痛みが生じない弾き方ができるようになりました。また、私がレッスンする立場になった時に、手に負担がかからない弾き方、痛みが生じてしまったときの原因の解明ができるようになった事が本当に大きな財産となっています。

ピアノを弾くことが”苦”ではなく、喜びに変わったほどテクニックの改善は私にとっては重要で、留学して、自分に合った素晴らしい先生に出会ったこと、改善する時間を得られたこと、また良い音、響を聞く耳が持てるようになったことが人生を揺るがす大きな収穫となったことは間違いないです。

②豊富な演奏経験

留学ということでまた学生、という立場に戻った訳ですが、まず思ったことは

学生という立場って、なんて恵まれているんだ!∑(゚Д゚)

ということです。

学校に入れば、自動的に演奏機会がたくさんやってきます。学校の試験や演奏会はもちろんのこと、コンクールなどの情報も友達や先生からたくさんもらえるし、室内楽や伴奏、コレペティをやる機会も自ら探して行かなくても居るだけでいただけるというのは、本当にありがたいことでした。

また、コンサートで弾くにあたって、宣伝も集客も場所をおさえるのも全てオーガナイズしていただけるなんて、、ありがとう!!の極みです笑

③外国語の習得

やはり海外に住むということは、外国語を習得できる絶好の機会!でもあります。もちろん、日本にいても外国語の勉強は出来ますが、交通機関の利用、買い物、カフェ、病院、銀行などなど生活の全てを外国語でやっていくというのは、海外にいないと実現しないことで、必死さと質と量に置いて身に付く速度が全く違います。

もちろん、学校に入ったら授業も教授や友達とのコミュニケーションも全て現地の言葉ですし、学校に入るにもインタビューがあったり、事前に語学のレベル証明をしなければならない学校もあるので、それこそ必死で準備もすると思います。

究極のインプットアウトプットの繰り返しが出来るのは海外ならではですね。

あとは、トラブルがあったときに現地の言葉を話せないと立場が弱く負けてしまうので、自分を守るためにも必死でしゃべってました汗

④凝り固まった価値観の崩壊

東京の大学にいたときは、私の師事していた先生の性格の影響と、もともとの自分の根暗な部分がハーモニーを醸し出してしまい、

ピアノが上手くない=ダメ人間ヽ(;▽;)ノ

私には価値がない私には価値がないワタシニハカチガナイワタシニハカチガナイ……

この方程式のもと、苦しみながらピアノを弾いていました。
この状況で迎える本番の恐ろしさといったら。。。((((;゚Д゚)))))))

海外に行って1番変化した思考というのは、

ダメな自分も失敗した自分も受け止める

ということ。

留学に際して、生活面でも音楽面でもあまりにも失敗の連続で、ダメな自分に対する耐性ができたのと、失敗→復活→失敗→復活の繰り返しでメンタルが強くなったということがあります。環境でいうと、周りのイタリア人や外国人の友達を見ていて、逆境や失敗があってもいちいち嘆かない、、一時は落ち込んでますが、それを引きずって自信喪失にまで落ち込まないで割と翌日にはあっけらかんとしていることが私には衝撃でした。

それに、改めて、世界中にはこんなにもたくさんのピアノの上手な人がいて、才能溢れる彼らと比較して落ちこむだけ無駄だと腹の底から腑に落ちたというか。。そこから、自分が出来ることに取り組むこと、一生、自己成長は続けようと決めてから、ピアノに向かうことが楽しくなり出しました。

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⑤自己肯定感の向上

自己肯定感が上がったというのは、前にお話しした、凝り固まった価値観の崩壊と繋がっていますが、そう、自己肯定感がえぐれるほどなかったのですが、その穴ぼこが少しずつ埋まっていった感じです。

私にとっては不思議だったことですが、、

日本にいた時は、かなり周りに守られて、敷いてくれたレールの上を走っていたため大きな挫折はなく生きていました。だけど自分のことが嫌いでたまらなかった。その上、大きな失敗がなかったため変なプライドだけは高くてどうしようもなかったです。

留学してからは、暗闇の中を手探りで道を進み、合ってるかも間違ってるかも分からない道を気合いだけで歩いていくうちに行き止まりになったり、落とし穴に落ちたり、、ほぼ失敗しかしてない状況だったにも関わらず、そんな行動してる自分が好きになってきたんですよね。。w 上手く行かなくても、人から決められたレールを生きていくより、自分の意思で取捨選択、決定をして生きていく自分の方が私は幸せを感じるようです。

いろんな価値観に触れて、いろんな文化を知って、たくさんの国の友達や先生と出会って、失敗して上手くいくこともあって、自分は自分でいいのかもって思えるようになりました。

今後の人生が苦しいままか、楽しく進んでいけるかの分岐点ともなりましたね。。

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⑧まで全部書こう思いましたが、時間がかかりそうなのでここで1回止めて続きは次の記事で書こうと思います。もしよろしければ次もお読みになって頂けたら嬉しいですm(__)m✨

演奏会でピアノを弾くということ

発表会でもコンクールでも何か本番があると、みんな必死に練習します。
でも多くの人が、何に必死に練習しているかというと、間違えないように、弾けないところが弾けるように、休符に気をつけて強弱に気をつけて。。(かく言う自分も。。汗)

もちろん、とっても大事なことです。

だけど、音楽をやる本当の目的はなんなのか、ということを見失ってはいけません。

正しく間違えないようにするだけならロボットがやればいいんです。

バリバリと技巧的に上手く弾くのを聞いても、すごいことは分かるけれど、何も感動しないし、気持ちが動かされない演奏、というのはよくあることです。(何様なんだ自分。。)

人前で演奏するのは、何かを表現して共有するためであって、正しく弾くのを聞いてもらうためではありません。(でも、人前で間違うのは嫌ですよね。。)

もちろん、聴衆のことは関係なく自己満でいいと言う思いで弾く人もいると思いますが、聞いてる方は、そういう演奏は聞いてるようで耳に入ってこないですね。それって人前で弾く意味は、、あるのでしょうか?みんなの時間を使う訳なので、自己満なら家で1人で弾いとけば良いのではないかなと思います。

私の考えでは、ミスがあったとしても、なんか良かった、感動した、そう思えるような演奏の方が聴きたいし、その演奏に出会えて良かった!と心から思えます。(だけどノーミスで弾きたい!ですよね。。難)

昔々、NHKのアートの番組で司会の方がおっしゃっていた言葉で、演者には2種類あって、

“1つは、舞台上で、自分の世界に観客を引き込むタイプと、自分の世界を観客に向けて一緒に共有するタイプ”

昔過ぎて正確には覚えていませんが、大体こんな内容のことを話していました。前者はベクトルが自分の内部に向いていて、後者は観客に向いていますね。

私個人はどちらかというと前者ですが、どちらでも良いと思います。とにかく表現すること、音楽を感じること。

その喜びを舞台で感じられたら本当に最高です!!
生きていて良かった✨とさえ思えます。

そんな思いを生徒さんたちにも味わって欲しいなぁと思います🕊✨

ハノンが好き?バーナムが好き?

指の独立や俊敏性を養うために使われる教本「ハノン」、テクニックにフォーカスしているので、メロディの美しさや何かをイメージして音にするなどの楽しさはなく、私は子供の頃はこれらの練習は好きではありませんでした。というか嫌いで、弾きながら寝てしまっていることもしょっちゅう。。😪片手練習の時はもう片方の手で漫画を持ち、なんてことも。。w

ですが、私が今見てる子供達の何人かは、曲たちよりも、ハノンが好き!これは私にとっては驚きで、食後のデザート(!)のように、ハノンを最後の楽しみにとっておいたり、好きだから1番最初に弾く、という子もいます。

もう1冊、テクニック向上のために使っている楽譜が「バーナム ピアノテクニック」。

こちらはハノンよりはかなりバラエティに富んでいるし、題名もついているので、想像力や音色の付け方など色々頭の中でイメージして音に出すということが出来ます。なのでハノンよりは楽しみがあるし、1曲1曲が短いので取り組みやすいですが、あくまでテクニックに重きを置いているので、個人的には小さい頃はブルグミュラーなど音楽的な広がりを持つ曲の方が好きでよく練習していました。

ハノンや練習曲は宿題だから、義務だから仕方なくやるか。。という気持ちでしたw

ですが、私の生徒さんはハノンのみならずバーナムが大好きな子も結構いて、宿題に出ていないところも好きな課題を選んで自主的にどんどん練習していたり、続く曲を10曲ほど1週間で練習してきます🥺✨スバラシイ✨

生徒ママさんとお話ししていましたが、指のテクニック系が好きな子は理系な頭の子が多いようだ、、とのこと。。

ピアノを上手に演奏するには、計算したり、組み立てる力も必要になってきます。私自身が嫌いだったものを喜んで取り組む彼らの特性が今後どのように彼らの成長に影響をもたらしていくのかが本当に楽しみです。

子供の特性や性格は千差万別ですが、それぞれの特性を活かした音楽への取り組みが出来るようにサポートしていきたいです✨ワクワク✨

因みに今はハノンも練習曲も好きになりました✨どんな曲もどう弾くか、が重要です💪

エチュード、最後まで辿り着かない?

私の場合、高校に入ったあたりでショパンの練習曲を弾き始めたのですが、、曲の途中から腕に乳酸菌が溜まってきて腕が疲れて重くて最後まで行き着けないw無理矢理いきついても、腕の疲労感が半端なく、手首にも痛みがあることも多々ありました。

先生に痛みのことを訴えても、気合いが足りない、とか、力を抜いてーと言った言葉がけのみで具体的な解決法は何もなく、腕の重みや痛みを騙し騙し弾いていました。

腱鞘炎問題を解決しようと決めて向き合ってわかってきたことですが、手首や腕の重み、痛みが生じている場合、その部分を緩めなさい、力を抜きなさい、と言われて一瞬そうしたとしても、すぐに元に戻ってしまいます。

なぜなら、その不都合が生じている、痛みがある部分に負荷をかけて、バランスを取ることによって指を動かしているのですから。。つまり現在の脳ミソは、不都合な部分でバランスを取らないと指が上手く動かないよ、と思ってしまっている状態です。

本来なら、痛みが生じるような不都合な負荷を手や腕にかけなくても、どれだけ長い早く弾くパッセージも跳躍する箇所でも楽に弾けるようしたいですよね。それには、身体が自然なバランスを保って柔軟に対応できるようにならないといけません。ここでいう「バランス」とは、座ってる時の姿勢、腰、背中、肩、腕、手首、指の第1〜第3関節までが無理なく、ポジションを保っていることです。つまり、真っ直ぐ立った状態と同じことです。よく「脱力が大事」と言いますが、寝転がった時の全身脱力とは違うわけで、直立や普通の歩行でも余分な力や身体のどこにも負荷をかけなくても上手く身体が動くように、ピアノでも腕や手首に余計な負荷をかけなくても思ったように動く状態にできます。

さて、その失ってしまった本来のバランスを取り戻すのが難しい、というのが現実です。特に大人の人は長年の癖が身体に染み付いて、それを頭が記憶してしまっているので、それを1度リセットするのが1番難しいです。

本格的に取り組んだら、一時は曲を弾けなくなるかもしれません。

だけど、せっかくの大好きなピアノ、生涯を通じて長く弾いていきたい、難易度の高い曲でも弾いていきたい、という思いがあったら、やはり身体が故障しないように弾く弾き方、というのを身につけたいですよね。

原因は人それぞれなので、ここでは解決のヒントになるようなことをいくつか書いておきたいと思います。

①指の第1関節が機能しているか
②指の第3関節は機能してるのか
③拍子にのって弾いているか
④音をよく聞いているか

①指の第1関節が機能しているか

第1関節、この部分で支えられていないと腕の重みを感じるのも、鍵盤のコントロールも出来なくて、腕や手首に負荷がかかってきます。

②指の第3関節は機能しているか

ここが凹んでいると、指全体が動きにくくなって早いパッセージを弾くときに、手首をふってカバーしようとするため腕や身体に負荷がかかりやすくなります。

③拍子にのって弾いているか

音楽には呼吸とともに強迫、弱拍があります。それを無視して弾くということは、呼吸、自然な動きから外れる、身体、手に負荷がかかるということになります。例えば、音楽の流れ的には拍をアップビート(弱拍)でいきたいところ、ダウン(強迫)に無理やり弾いてしまったりということです。

④音をよく聞いているか

音をよく聞くということは、頭の中にまず音楽があって、実際に自分が奏でた音はイメージした響き、音が鳴っているか、または音楽の流れをチェックする、ということです。音を聞いていない時は、実際は響きのバランスが崩れていたり、流れを無視してしまって、結果余計な力が入っていたりします。気付かぬうちに。。

まとめ

ショパンのエチュードが最後まで弾けない。。途中で腕が重くなって辿りつけない、最後まで弾いても手首に痛みが、、などの症状がでるということは、指が独立してない、ピアノを弾く概念がずれてるなどの理由で身体が上手く使えてない結果です。難しいのは、原因は一つでなく複数の要因が重なっていることが多く、音の聴き方や指先への伝達方法は感覚なので目に見えないということが言えるかと思います。なので弾き方、座り方などの見た目から入る情報だけを真似して直しても根本の解決に至らないことが多いです。
これまでの時間をかけて染み付いた感覚を修正する、ということは簡単なことではありませんが、生涯を通して末長くピアノを弾いていくためにも肉体的に負担がかからない弾き方を見つけて欲しいと思います。

音楽の道はお金がかかる(高校3年生〜音大受験)

今回はお金について書きたいと思います。
音楽大学に進学をするとなると入学前も後もお金がかかります。

私自身、音楽大学に進学させて頂いたわけですが、地方の高校ですでに音楽科にいたので、自然の流れで音大にいくだろうなというのは思いながら過ごしていたのですが、どの大学にいくか決定したのは高校3年生に上がる前くらいですかね。。

そんなこんなで、どこにどれくらいお金がかかるのかというのを書いてみようと思います。

其の1

まず普段のピアノレッスン(地方)。

月に2回受けてました。費用は1時間10000万円。地方だと1時間5000ー15000円位が相場かなと思います。それにたまのマスタークラス受講のレッスン費用。国内外の音楽大学の教授、ピアニストのレッスンを受けるチャンスというのがあるので、そこでより自分の音楽性を磨いたり、進学や留学のコネクションを掴むためにもとっても良い機会です。そこで先生に気に入ってもらえたら、道が開かれることもありますし、海外でのマスタークラスやコンクールに参加するきっかけになることもあります。なので、普段のレッスンよりかなりお値段高くなりますが、たくさんの熱心な生徒さんが受講しています。お値段は1時間25000円程になります。プラス必要であれば通訳費、スタジオ代、また地方から東京に受けに来る場合は移動、宿泊代(親子2人分)もかかってきます。

其の2

後は、コンクール参加に際しての費用。

参加費はもちろんですが、コンクールや先生によっては、若干宗教ちっくに先生様のような様相を醸し出してることもあるので、入賞するために、コンクールが近くなってきたら、レッスン回数も増え費用も増していきます。

其の3

次に音楽大学で教えてるピアノ専攻の先生のレッスン代に関して。


私の場合ですが、志望校を決定した高校3年生のときから、受験する大学でレッスンしている先生に習うために月に2回ほど、地方から東京の先生のお宅に飛行機✈️で日帰りで通っていました。私の先生のレッスンは1時間20000円
その先生は教授ではなかったのですが、教授クラスになると1時間30000円くらいかかる場合もあります。その上、往復の飛行機代が毎回、と先生の門下生コンサート年3回の出演費、先生のコンサートのチケット10枚分購入書籍購入などなど。。
音大の先生に纏わるお金に関することは、先生によってだいぶ違うので、こんなにかからない門下、これ以上お金がかかる門下もあります。

いざ音大受験を迎えるに当たって、試験期間中の宿泊、練習場所の確保が必須となりますが、私の場合は先輩がお家を貸してくれたのでかなり助かりました。

其の4

無事合格を果たし、、

合格のお礼として、地方の先生に10万円、これからお世話になる先生に20万円包みご挨拶しました。

そして音楽大学入学金、授業料。これが高い。私の場合は桐朋学園大学を出たので、桐朋のリンクを貼らせていただきます(2018年度入学生からなので私の時とは異なります)。
https://www.tohomusic.ac.jp/college/admissions/fee.html

入学時に納める金額が合計1753300円

まとめ

ということで、車が1台買える金額を投入していただき、志望校合格、入学の道を掴ませていただいた訳ですが、滑り止めを受けずに桐朋一択の上、金銭的にも2回目は無理だったため、落ちたらあとがない状態で血眼で練習した記憶があります。

スポーツの世界もお医者さんになる道に進むのも、そして音楽の道もお金がかかりますね。。ただ音楽の場合(他の専門分野のことは知らない)、光る才能があれば、授業料免除特待生として迎えてくれる制度もあります。また日本の音大ではなく海外の音大に進学した方がコストを抑えられたり海外へ行く支援制度もあるので、音楽の道を志す人は視野を広めてたくさん情報を集めて進路を決定すると良いと思います。


何度聴いても心が震える曲

クラシックの曲で大好きな曲はたくさんあるのですが、総じて協奏曲が大好きです。特にピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲。その中で、心、魂が震える曲は、

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲2番

です✨

ラフマニノフが精神的苦しみから立ち上がった曲というのもあり、生きる底力、というのか言葉では言い表せないほどの物凄いエネルギーを感じます。

昔、演奏会で保身に走って上手く弾けず、家に帰ってからたまたまこの曲を聴いて、圧倒的な存在の音楽の前に、自分何やってんだろう、、と大泣きしながら寝たことがありますw

1回聴きだすとあっという間に引き込まれます。個人的にはロシア人であるラフマニノフが作ったこの傑作を、ロシア人の指揮者、ピアニスト、ロシアのオーケストラで演奏されたこちらが1番好好きです。

協奏曲でないソロの演奏も独特の緊張感と集中力とともにある迫力と繊細さがあり大好きなのですが、協奏曲はやはり大勢が一つになった時の物凄いエネルギーとパワー、そして曲の随所に現れるそれぞれの楽器のソロパートの際立つ美しさがたまりません😆全てに圧倒されてこちらも音楽の渦に巻き込まれていきます。

他にもシベリウスのヴァイオリン協奏曲やモーツァルトのピアノ協奏曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲などなど、また次回以降のブログで書きたいと思います。

新学期に入って登校するのか パラ観戦

さまざまな地域の生徒さん達と普段から関わっているので、あちこちの新学期の小学校の様子を聞いています。

対応としては、自由登校、隔日登校、時間差登校、夏休み延長などがあるようです。何も変わらず通常通りの登校にしていてもオンライン授業を試す日を作ってる学校もありました。あとは自主的に親御さんが学校に行かせないと決めていらっしゃるご家庭もいくつもあります。

パラリンピック観戦に参加する子は誰一人としていませんでした。正直、みんなが行かないという選択をしてホッとしました。。通常の学校生活でさえ心配なのにわざわざ感染確率を高める行動には気が揉めます。
本当に、、安心できる状況だったらパラリンピックを会場で観戦できるなんて貴重な機会、たとえその日がピアノのレッスンと被っていてもレッスンより観戦に行ってらっしゃーい!感想教えてね!!と送りだしてたでしょう。

ですが、状況が状況。

子供の中でも、学校行くの怖い。。と話してる子もいるので、国や学校の意向や現実的な障壁等あるでしょうし、先生方の計り知れない労力と時間を要してしまうのでしょうが、子供の気持ちも含めて行動の選択が出来るようになって欲しいなと思います。行かないと決断した、子供さん、ご家庭も学習内容に隔たりがないように学校での授業を配信する等、学習内容や進度が分かるようになったら良いなと部外者ながらも勝手に思っています。

イタリアの街は音楽用語が溢れてる(1)

前回の記事で、音楽ではドイツ語とイタリア語がたくさん使われているので、1度は現地に行って、紙の上だけでない、生きた言葉、意味を感じて欲しいと書きましたので、今回はもう少し具体的に書いてみたいと思います。あ、あとフランス語もできたらいいですね。

私はイタリアにいたのでイタリア語の音楽記号で書きたいと思います。

例えば、フェルマータという音楽記号がありますが、これは本だけで学ぶと、’ほどよく伸ばす’なので、そこで長めにすることだけ考えますが、イタリアに行ったら、電車のアナウンスでこの言葉を聞きます。電車に乗っていて、次の駅が近づくと、「次のフェルマータは、◯◯です」と流れる。つまり、止まるところ、停車するところ、という意味ですね。こうすると、頭で考えるだけでなく、体感としてフェルマータの意味が感じられませんか。

フェルマータ』の意味 – ワインバー フェルマータ

フォルテは’強い’という意味ですが、イタリアでは、「あなたはフォルテだね!」「このコーヒーはフォルテすぎる!」などと言います。最初の方は、場面にもよりますが、勇気があるね!とか度胸があるね、性格が強い、などのように使われ、後者の方はコーヒーが濃すぎる、苦すぎるの意味です。

フォルテ | クリップアート | プリントアウトファクトリー | MyRICOH

ポコはpoco forte 、poco cresc.のように、少し強く、少しだんだん強くなど、’少し’の意味で使われます。普段の会話では、「ポコあとで 」「ポコ食べる」のように頻繁に使います。

logo_pocorit.png

これらの言葉を音楽用語としてのみ捉えずに生きた言葉として肌で感じられると楽譜を読むのも楽しくなりますし、表現にも幅がでますね✨

まだまだいっぱいありますが、また次回以降の記事で書きたいと思います。

小さい頃から母国語以外を学ぶ

現在、私と一緒にピアノのレッスンをしてる子供達の何人かは2〜3言語話せます。日本語、英語、中国語、韓国語、アフリカーンス語のいずれかの組み合わせで、母国語ではない言語もネイティブの子もいますし、母国語以外はネイティブではないけど、意思疎通は出来るくらいは話せています。

私からすると、本当に羨ましい環境にいるなぁ、と思います。自分の場合は、10代過ぎてから英語に触れるようになり、30歳辺りでドイツ語やイタリア語を学んでいるので、どうしても、発音は悪いし、文法の苦労やセンテンスが自然でないです。というか不自然連発ですwもう、いつまで経っても思い描くほど喋れるようにはならないのでは。。と絶望しそうになります笑 というか大人になったらネイティブにはならないので、子供のうちから母国語以外の言語に1つでも触れていくというのは、その子の財産となっていくのではないかなと思います。

また、喋る言語によって、個人差はあれど人格とまではいかなくてもその子のキャラクターが変わって来るので、色々な言語に小さい頃から馴染んでいると、やはり人格形成や自信、思考力、環境への適応能力にも影響があると思います。言語が出来るかどうかにによって行動パターンも変わってきますし、いくら言語変換器が進んだところで、やはり人と人の対話においては直接的に言葉を交わした方が圧倒的にいいわけで。

音楽においては、イタリア語とドイツ語がたくさん使われるので、やはり旅行にいくなどでも、現地で生の言語に触れてほしいですね。

その言語を生きたものとして身体でわかるようになります。そのことについては次の記事で書きたいと思います。

音楽っていう存在

私は子供の頃からずっと音楽と生きてきたのですが、大学生のころや社会人になってからふと、私って何のために音楽やってるんだろう、何のためにピアノ弾いてるんだろう、、😱と鬱っぽくなってしまったことがありました。

だって、物理的に何かを提供するわけでもないので、音楽でお腹いっぱいにならないし、何か便利になるわけでもないし。。。モヤモヤモヤモヤ☁️

だけど、人生の中で色んなことを経験していくうちに、ピアノを弾く、音楽をやる意味が見えてきて、今ではこの世に存在しなくてはならないなんだなと確信を持って言えます。
そして、益々こんな時代だから必要だと感じます。

人生は幸せのためにある

人は何のために生きてるんだろう、、この答えは人それぞれなのかもしれませんが、最終的には、幸せのために生きてるんだと思います。

けど。

よく’生きてるだけで幸せ’と言いますが、その通りだとは思うのですが、そうも中々、常に私は幸せなの!という状態の人はいないですよねw

ちょっと疲れてるなぁ。。気持ちが沈む。。なかなか上手くいかない。。失恋した。。家族や友達と喧嘩した。。人生疲れた。。😞

こんな時、ピアノが弾けたら、、ピアノは弾けなくても何か音楽を聞いて涙を流したりする事で、また立ち上がって頑張っていこうと思えたりします。

心が悲鳴を上げそうなこの時に、ひと時でも音楽に没頭する時間があれば、その人の心を救う手伝いをしてくれたりします。

もちろん、大変な時だけでなく、普通に元気な時でも、音楽を弾いたり聴いたりすることで「っもー!本当に幸せ😻✨」という気持ちになったり、「楽しいなぁ」とじんわり感じることもあります。

あとは単純に音楽を日常生活の色々なシーンでかけることによって、その時間をより質の高いものに変えてくれますね。朝の時間にアップテンポの曲やクラシックの曲を聴いたり、仕事や勉強、スポーツ時に集中力を上げるために、あえて無音でなく音楽を流す人もいますね。

音楽が人生において占める割合というのは人それぞれですし、音楽になんの必要性も感じない人もいますが、もし、まだ音楽には触れていないけれど、実は必要としている人のもとに音楽が届けばいいなぁと密かに願っています。

神様への祈りとして歌われていたグレゴリオ聖歌が始まりとされている音楽。そこが起源の音楽は、美しい、楽しい、だけでは語れないほどの奥深さ、パワーを内に秘めているのだと思います。

本当に良い音楽に触れた時、演奏した時、コンサートでその瞬間に立ち会った時、生きててよかったなぁ。。と心の底から思います。

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